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- 2023.04.26 Wednesday
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たぶん気圧のせいだと思うんだけど、こういう夜は十年くらいも昔の出来事を回想してしまったりもする。
十年て。正確な年数は確認するのも億劫な、本当に一昔前です。とはいえ、数年の間は元ギルメンへ迷惑をかける心配が大きくて口をつぐんでしまった後悔もあり。さすがにもう大丈夫なんじゃないかと期待して投稿します。
端的に言うとギルマスの派閥に私が所属していたと考えられる首長派閥的なものが嫌われて、派閥抗争を仕掛けられて、こちらは誰も派閥運営が出来なかったので大敗して脱退するに至った件です。
先に念押ししておきますが、当時のギルメンの大半はこの騒動のことを終わりがけまで知らなかったし、当然ながら関わってもいませんでした。アクティブだったメンバーの一部が勝手にやらかした事でした。
騒動自体は正直もう終わりすぎていてどうしようもないのですが。しばらく後、ゲーム外の掲示板に、友人がいじめを行ったことがバレてメンバーを引き抜きながら脱退した……というネガキャンめいて指弾する書き込みがあった。つまり外にまで持ち出されたにも関わらず、反論もしていなかったなと。一方的な主張に対して、手遅れなりに意見を述べたい次第です。
どんないじめがあったかなんですが。私と友人の共通の友人が、ギルマスの親しい友人に対して、今回の狩りへの参加が遅かったので分配を遠慮してもらえないかと、公平な分配を定めていたギルドのルールに反して提案して返り討ちに合った件だと思います。その場で強く反論されて謝罪していましたけど、それはともかく、上記掲示板で標的になった友人はその場に居ませんでした。
ギルマスの派閥はその日からギルドの活動に一切参加せず、またこちらからの連絡にも返事をくれることはありませんでした。想像するにこの一件といじめの話は徹底して口実に過ぎず、また何があったかを口外しなかったことも、何もなかったからだと考えます。タイトルにもかかりますけど、私のようなブログに書いてしまう者を相手にしなかったのは、正しい判断だったでしょうね。
記憶が正しければ数日後、標的にした友人に対して、いじめを見過ごしたギルマスは責任を取ってゲームを引退すべきかというアンケートを代理で集計するように、という命令があったらしいので。まあ、選挙で後押ししてみたけれどギルドに還る益をもたらさなかった首長が邪魔になったんじゃないかと考えています。
当然ながらアンケートは、それを投げ捨ててムーンゲートか銀行の横にでも積み上げるべきだったのではないかという点を除いて、滞りなく信任で決着しました。これを邪魔しなかったのは乗っ取り工作と区別が付かないことが大きいです。実際に乗っ取ってしまえたとしても、その責任は取れませんでしたからね。
嘘くさく感じると思いますが、当時のギルドのギルマスは当人を除いて決して務まることはなかっただろうと、今でも考えています。あのギルドは混沌とした活力を持った、趣味嗜好の本来噛み合わない赤の他人が同じネトゲを遊ぶこと一点で収束した、ギルマスがさせた、奇跡のような場所でした。それは本当に確信しています。
信任後は彼がギルド内ギルドと呼んだ派閥存在の解散を求め、またギルドはみんなで仲良くするようにという声明のようなものを発信していました。ギルド内で唯一最強の結束を持った派閥の長が言うので説得力がありましたね。騒動の経緯からもう仲良くは出来ないと、かなり遅く認識していた私達は個々に脱退していきました。
いじめに続き、引き抜きも行っていないと考えています。もちろん当たり前にこちら側だと考えた友人にはようやく状況の説明を行って、引き続いての交友を求めましたが。こちら側ではない友人には、引き抜いた後に同様の環境を用意する責任が取れないため、求められた場合のみ説明するに留めました。というような直截な線引きは私の個人的なニュアンスですが。
私には、騒動よりも過去の数年前、私が出くわしたのと同様の事案があったと告発するブログを検索して発見していたにも関わらず、そう言われるほど活力のある場所なのだと判断して、出会ったばかりのこのギルドに入団を誘われるように能動的に動いた責任があります。これも因果応報かもしれません。私の判断は何も間違ってはいませんでした。
私達、私達と彼らは、ただ最終的に仲良く出来なかっただけです。いじめられたと告発したかつての友人は、私がギルドに入ったばかりのころ、欲しがった誰の記憶にもないニッチな生産マジックを仕方なく作ってきてくれました。その後、その時より仲良くなることはありませんでしたが、敵対するほどの出来事も無かったと考えたいと思います。
仲良くなれかなかった事が加速して、蓄積と弾みで敵対へと移行したのではないでしょうか。もしくは私の認識力不足で、本当はいじめのような出来事もあったのかもしれません。だとしても、私の記憶と乏しい道徳の限りでは、それは応酬によるものです。一方的では決してなかった。言葉が行動を呼び、行動が言葉を呼びました。その程度のありふれた摩擦です。
この記事を書いてしまって、ついに投稿してしまったのは、あのギルドが私にとって本当に所属していたと思える場所だったからに他なりません。魅力のない場所であれば、後悔するほど執着することはなかったでしょう。そのための対価は払っていなかったかもしれないし、払っていたのに見てもらえなかったのかもしれません。
と、ご存知の通り書きたいことを書きなぐっているだけなので、感情的になるのはご容赦ください。他に書きたいのは、ギルマス側の説明を聞いてこちらを軽蔑する趣旨の言葉をくれた当時の友人に、この記事を読んでもらえたらいいな、という非現実的な希望と。説明してくれたら一緒に追放したのに、と言ってくれた別の友人に、だって良い場所だったでしょという言い訳くらいです。
私は標的として狙われていないし、責任を持って仲裁しようとしてもいないし、無理やりにでも間を取り持とうともしていないし、かといって騒動に気づかないでいるには近く、また巻き込まれないほど強固でもありませんでした。以前も以後もUOは続けたけれど、本当の意味で熱心にいちプレイヤーであれたのはあのギルドに居た間だけだったかもしれません。
どこにでも飛んでいけるブリタニアの中で、帰る場所をくれて、帰る場所にする程度の認識なら出て行けと言われた、そういう経験でした。後悔とともにようやく思い出になろうとしています。怨嗟や侮蔑のような感情も、きっとお互いに、願わくば過去の話として、持ったと思いますけれど。
すでに書いた通り、手遅れにも程がある過去の話を、ただ一方的な情報に対しての反論だけは行いたく、いまさらの次第です。
JUGEMテーマ:サボテン
なにぃ…? 前回の更新から一ヶ月しか経ってないだと!?(アンコモン)
こんなハイペースで大丈夫か? …大丈夫じゃない、問題がある。でも月一更新は見習いたいし、せっかくブログあるんだし、やってみますかね。三ヶ月目くらいが鬼門だと思いますが、がんばります。ということでこんにちは。
ちなみに今日はエイプリルフールですけど、前回に続いて間違いはあっても嘘はないかもしれないサボテンの記事ですよ。
(画像はクリックでちょっとだけ大きくなります)
JUGEMテーマ:サボテン
葱です、ブログではおひさしぶりです(定型文)。
3月になりましたね。昨日28日はめっちゃ暖かくて2月終了!! って感じの陽気だったし、しかもこっち今日は雨なので、先んじて今月予定の種まきをやっちゃったりしてました。フェンネルを2種類とビーツの模様ができるのを、残ってる冬野菜たちの間に。
ちなみに先月はイタリアンな生食トマトとメキシカンなハラペーニョの種をまきまして、4月5月は言わずもがな本番ってやつです。こういうのも今後はブログに…という気持ちが微量にあります。
月末になると平和系オークの先駆けである某あめん某さんがブログを更新されるので、おっ私も書こうかな…て毎回思うんですけど、いつもはツイッターとインスタと親戚ライングループと祖父母に直接見てもらうのとで満足してるんですよ。うんけっこうやってたわ十分なのでは?
でもこれらは写真と一言の一発勝負みたいなところがあるので、私が育ててる(育てようとしてる)サボテンたちの詳細とかは基本的に言いようがないと思います。色々勉強もしたので、いまどんな子が居るのかくらいは書いてみたいなあと。そういう記事です!
ちなみに、サボテンは昨年の秋の終わりに育て始めました。…初心者とかそういうレベルじゃねぇ、なんせ冬しか体験してないわけで、実際のところまだ始まってないぐらいの気持ちです。そのために冗談みたいな誤りを書いてしまう可能性もありますが、笑ってスルーするか阿修羅のごとく正解を教えてくださるとありがたいです。
JUGEMテーマ:ウルティマ オンライン
こんにちは。野菜でなまこでキノコです。最近はハンドルネームが微妙に変わって、お葱です。実質和訳したくらいですけど。葱はもともとUOで貰ったあだ名のひとつで、頻繁な範囲だと、だいたい二人〜くらいに呼ばれてました。自称するには一字はさすがにシンプルなので、可愛らしく雄葱…お葱です!
数日前にうおみんさんで読ませてもらったUOの思い出をまとめた記事がとても印象的でした。そして触発された方によって書かれた記事も。潜在的にはあっこれ自分もやりたいと思う率は120%だと感じています。なのでビッグウェーブに乗ります。対戦よろしくお願いします。
JUGEMテーマ:ウルティマ オンライン
昨日開催された和鯖プレイヤーイベント、EMさん感謝祭(10周年!)に参加してきました。
UOの歴史があまりにも長いので忘れがちかもですけど、10年は当たり前にめちゃ凄いですよね。
私にとっては今のブリタニアンとしての形を作った期間とほぼ一致して、自分の飛びとびの活動の中でずっと居てくれる、ひとつの大きな河の流れのように見えていました。
もちろん、より長く近く見てきた方にとっての思いはひとしおでしょう。
ということでスクショを貼ります!
設営の一翼を担った副隊長の手先(文字通り)として、時々ベンチを振り回したり絨毯を張ったり保全したりする系の一般参加者だったので、大きな演目の流れからはちょっと外れてますけど、思い出したり見比べたりしてみてくださいね。